耳栓は、大きな騒音に長時間さらされ、耳鳴り(何も存在しないのに音が聞こえる)などの一時的な聴覚障害や、永久的な難聴が発生するのを防ぐのに有効な対策として使用されているものです。
一時的または永続的な難聴は、いかなる形態であってもコミュニケーション障害を引き起こして、様々な生活に支障をきたします。WHOによると、推定4億6,600万人が難聴に見舞われており、騒音は依然として人々にとって蔓延する公衆衛生上の大きな問題です。
耳栓の開発には、これまで人々の絶え間なる努力と工夫が積み重ねられてきました。その足跡を辿ってみましょう。
≪第一章≫ 黎明期
人類最初の耳栓の痕跡は、紀元前850年の古代ギリシャの西洋最古の英雄叙事詩の『オデュッセイア』に遡ります。上半身が人間の女性で、下半身は鳥の姿とされる怪物セイレーン(サイレンの語源)は、海の航路上の岩礁から美しい歌声で航行中の人を惑わし、遭難や難破に遭わせます。
その歌を聞いてみようと思ったオデッセウスは、船員には蜜蝋で耳栓をさせ、自身をマストに縛り付け決して解かないよう船員に命じます。歌が聞こえると、オデッセウスはセイレーンのもとへ行こうと暴れますが、船員はますます強く彼を縛り、船が遠ざかって歌が聞こえなくなると、船員は初めて耳栓を外しオデッセウスの縄を解きます。
☆ ☆ ☆
今でもうるさい場所では指を指しこんでいるように、人類が最初に用いた耳栓は自分の指だったのでしょう。しかし両手が使えなくなる指の耳栓に替わるものとして、人類は様々な時代で蜜蝋、羊毛、綿など塞げるならばどんなものでもかまわずに耳に入れて防いできました。
騒音による難聴の問題に大きな注目が集まったのは 20 世紀の戦争が大きく影響しています。しかし兵士の耳はそのずっと前から戦闘の大音量によって攻撃されていました。そのような音の攻撃が聴覚能力に及ぼす影響はよくわかっていませんでした。それでも、16 世紀の初めには、アンブロワーズ・パレという名前のフランスの陸軍外科医が、彼が治療した多くの兵士に観察された音響外傷を記録しました。
また、米国では1775年に始まった独立戦争で、ジョージ・ワシントン将軍を含む兵士の多くは、おそらく戦闘中にさらされた喧騒が原因で、晩年に難聴を経験しました。更に南北戦争の終わりまでに北軍の3分の1近くの兵士が何らかの難聴と診断されました。
耳栓が開発される
耳栓に関する最初の特許は1884年に兵士や船員の保護として調節可能なヘッドバンドに取り付けられたカナル キャップが取得しましたが、その利用はあまり進みませんでした。騒音に対する耐性を高めることで難聴を防ぐことができるという考えが一般的に信じられていた為に聴覚保護具を使用することに抵抗感があったのです。これは「慣れれば大丈夫」のような事を今でも言う人が多く存在している事にもつながっています。
この流れに大きな転機が起きたのが19 世紀後半、工業化により大都市で騒音公害が健康問題となった時でした。さまざまなタイプの耳用サイレンサーが開発され、硬質ゴムや金属で作られた中空球体から、ゴム状の中空プラグ、パッド入りのヘッドバンド、フェルト、スポンジで作られた球体に至るまで、多種多様な特許が申請されました。
そして20 世紀初頭の賑やかなドイツの首都ベルリンで機知に富んだ薬剤師マクシミリアン・ネグワー(Maximilian Negwer)が、ワセリンとさまざまなパラフィンワックスの混合物に浸した脱脂綿というユニークなアイデアを考え出します。1907 年に Fabrik pharmazeutischer und kosmetischer Spezialitäten Max Negwer という会社を設立し、翌1908年にこのワックスとコットンのイヤプラグが発売されました。現在でも『OHROPAX Classic』という名称で販売され続けています。
これが1914年に始まった第一次世界大戦で、兵士たちの銃撃による有害な騒音の影響から身を守るため、1916年から兵士の装備品として組み込まれました。
☆ ☆ ☆
第一次世界大戦の兵士たちは、騒々しいベルト給弾式の武器(機関銃)の音、さらには砲弾の爆発音に晒され、また手榴弾、迫撃砲、小火器の銃撃にも晒されました。
その結果、高い割合で難聴が発生しました。記録によると、第一次世界大戦中にフランス軍に従軍した兵士の約 10 ~ 20 パーセントが、聴覚関連の障害のために年金を受け取っていたようです。
☆ ☆ ☆
一方、ドイツで「ワックスコットンプラグ」が兵士に支給されたように、英国でも陸軍に配布したマロック・アームストロングのブリキと真鍮で作られた「イヤー・ディフェンダー」など、いくつかの新しい聴覚保護装置がこの時期に作られ、実際に使用されました。
☆ ☆ ☆
この軟性素材を外耳道に詰める方法のドイツのOHROPAXのワックスコットンプラグは画期的でしたが、不十分な点が残っていました。それを大きく変えたのが、1962 年新進気鋭の音楽家であるレイモンド ベナーとその妻セシリアは耳栓事業を売却したいと考えている年配の薬剤師と出会ったことでした。
売却費用は 2,000 ドルで唯一の製品であるマックズイヤプラグ (前の所有者の名前にちなんで命名されました) は、成形可能な粘土混合物で作られていましたが、多くの試行錯誤を経て彼らは粘土のように柔軟性が高く粘着力のあるシリコン製の耳栓を考案しました。
この新素材の大きな利点は、ワックス耳栓のように夏の暑さでも溶けないことです。これにより、軟性シリコンプラグは、炎天下のビーチでも、熱いシャワーでも騒音と水の両方から耳を保護することができました。
シリコン粘土のような製品であるこのシリコン耳栓はMack’s Pillow Soft Silicone Earplugsと呼ばれ現在でも販売されています。レイモンド・ベナーは、クリーブランド交響楽団とデトロイト交響楽団で30年以上勤務した後、引退し、同社は今でも家族経営で運営されています。
≪第二章≫フランジ型からフォーム型へ
<1> V-51R耳栓
1940年代初頭に米国陸軍の研究者によって日常的な騒音暴露により難聴が起こるという科学的な研究がもたらされ、新しい装置の開発が進められました。
この中で天然ゴムや可塑化ポリ塩化ビニールなどの弾性高分子固体材料で構成し成形された単一フランジ耳栓(キノコ型)が、銃撃や爆発などの衝撃音、空港や航空整備施設などの非常に大きな騒音環境にさらされる軍人の聴覚保護を改善するために第二次世界大戦中に考案されました。
恐らくこれは耳栓の分野で最もよく知られている形態で、商業的に最も普及した最初の製品はV-51Rシングルフランジ耳栓と呼ばれたものです。このV-51R耳栓は、比較的かさばっている中央の柄部材上の後方に配置され、これによって支持される最前部に向けて後ろ向きの単一のフランジ要素(キノコの笠のような形状)を備えています。
使用時に耳栓は外耳道に強制的に挿入されて、それによって後方に延びるフランジ要素の下部にある自由環状空間を少なくとも部分的に潰して、このフランジ要素を外耳道の側壁に圧力を加えて接するようにして、音響的な遮音状態を得ようとさせるものです。
第二次世界大戦の終わりに向けて開発された「Ear Warden」V-51R シングルフランジ耳栓は砲兵隊員の人気となり、より多くの人の外耳道にフィットするように 3 種類のサイズで生産されました。この製品は当時の革新でした。
<2> V-51R耳栓の改良
外部の高い圧力に対抗するためには質量が重要と認識されていたので、V-51R耳栓の形態を改良したものとして、耳を保護するための重質量の部材を詰め込んで高いインピーダンス(抵抗値)を得ようとする耳栓が考案されます(1947年米国特許2427664)(fig1)。さらに1954年にその重質量部材の設置性向上のための改良型も考案されます(1955年米国特許2717596)。
米国特許2427664では既に挿入部の外周にヒダを付けて外耳道との隙間を無くしフィット感と遮音性能の向上を図っている構造が提起されています。(fig2)
その後、このようなゴムなどの軟性素材を利用したイヤプラグは、イヤフォン用のイヤチップとしても利用され始め、耳に装着する形態として多くの製品が製造されて最も広く普及していきます。
☆ ☆ ☆
<3>マルチフランジ型イヤプラグ
単一なフランジ型のイヤプラグが標準的な耳への装着具となっていた中で、更にその遮音性能を高める構造が考案されます。(1989.9.19米国特許4867149)
個人ごとに外耳道の大きさは異なっていることから、フランジ型のイヤプラグは利用する人の大きさや太さに適合させるために、各種の大きさを用意しておく必要があります。V-51Rでは当初の3種類から5種類の大きさに増やされていました。
これを一つの形状で様々な大きさの外耳道に適合させるためにフランジの大きさを変えて大中小の三段式のフランジが備わっている形態としました。
フランジ型のイヤプラグやイヤフォン用のイヤチップは、このフランジを三段にしたように、基本形態を元に現在でも日々様々な改良が加えられて多種・多様な製品が発売され続けています。
☆ ☆ ☆
<4>フォーム型イヤプラグ
一方、1960年年代後半に米国の化学者のロス・ガードナー・ジュニアが、緩衝材や密封素材として有用で柔軟性のあるジョイントシーラントに高いエネルギー吸収特性があることに気が付きました。
そこから開始された内部エネルギー吸収樹脂プロジェクトによって開発された発泡シート素材の他の用途として、耳栓への応用を考えました。
当初の素材はポリ塩化ビニールで、この素材は柔らかく、音波に対してはとても高い遮音性能を有しておりましたが、空気伝播音に対する障壁を作るためには、質量が重要と認識されていたために、この発泡素材の質量が小さいために、優れた耳栓になるとは誰にも考えられず期待されていませんでした。
ロス・ガードナーがアイデアを試験的に実験すると、シート状の個体素材から手作業でシリンダー状に切り出し耳の中に挿入すると、簡単に圧縮する事が出来そのプラグが膨張して外耳道を密閉し、研究室の換気覆いから出ていた低周波ノイズさえも消していました。
更なる効果評価をするために外耳道の直径との整合が必要になりましたが、それらの情報が不十分だった為に多くの同僚に装着をさせ、その直径を0.61インチ(約1.55cm)としました。
このフォーム耳栓(E・A・Rフォーム耳栓)は、体積を40~60%圧縮させ1~60秒の回復速度を持つ弾性可塑化ポリマーフォームで外耳道内で拡張して、そこを閉塞することが出来る耳栓として1971年に米国を始め多数の国で特許出願されます。日本では、特開昭48-50588(1973)、特開昭50-24377(1975)、公開実用 昭和57-183146として特許並びに実用新案として公開されています。
☆ ☆ ☆
これは1972年に専用販売を開始し、特許(米国特許 3811437)が発効された1974年に本格的な生産が開始されます。1990年代初頭に特許が期限切れとなりました。現在でも3Mクラッシック耳栓として販売が続いています。
発売が開始された1972年に、インダストリアルリサーチ誌で最も重要な新技術製品100のうちのひとつとして選ばれ、そのデザインの優秀さが認められますが、耳栓が皮膚に接触する長さによって効果が異なることは、当時は言及されておらず各個人ごとに減衰する量が異なり、効果に個人差が出てしまうために、人々の有効性を疑う先入観を克服するのはしばしば困難でした。
製品のメリットを納得して貰う為に、各方面にアプローチをした中で、一人の警察官がフォーム耳栓を装着することができませんでした。原因を調べると外耳道が極小であったことと、耳に入れる動作があまりにもゆっくりとしていた為でした。この結果フォームの形状の小さいバージョンをラインナップに加えるとともに、回復速度をもっと遅くする変更が施されました。
このフォーム耳栓の性能が音響学の専門文献で認められたのは1979年になってからでした。しかし、騒音の規制を含む労働安全衛生法が1971年に施行されたことも後押しとなり、労働者の着用が推進されてフォーム耳栓の普及が徐々に拡がっていきました。
その後、後発メーカーによるフォーム耳栓の素材としてポリウレタンが選択され数多くの製品が発売されます。この利点はビニール素材よりも成形が容易で、「手触り」感が心地良いものだったことです。
ポリウレタンの欠点は素材の安定性に難がある事です。その特性は湿気の吸収と光の存在で、長期の加水分解により変化し性能劣化をする可能性を秘めている事です。
そして高湿度では回復(膨張)時間が速すぎて適切に挿入したり装着したりすることが困難になります。つまり利用期間がある程度限られてしまい、その材質の変化に応じて徐々に性能も下がってしまう事です。
現在、発泡ウレタンンによる耳栓に加え、カナル型イヤフォンが広まるにつれて、イヤフォン用の発泡ウレタンン・イヤチップを各社が製造しており、特に米国のイヤピースメーカーとしてcomply社を始め多様な種類の製品がリリースされています。
☆ ☆ ☆
≪第三章≫ フランジ型・フォーム型から、カスタムへ
<5>音響調整イヤプラグ
従来の、騒音から聴覚器官を守るために最大限可能な音の遮断をめざしていたイヤプラグの開発は、騒音の中から任意の周波数の音を選択的に減衰させるようにする試みが始まりました。
イヤプラグに音響フィルターを設置するという方法を取る事で、これを解決しようと考えます(1971年米国特許など)。しかし、これらの提案は、ある一定の効果を認められるものの実効的なメリットを得るまでには至りませんでした。
これが大きく変貌を遂げるのが1985年、シカゴでオーディオロジスト(いわゆる聴覚専門医)として活動をしていたマイケル・サントゥッチ(Sensaphonicsの創業者、後に聴覚学の博士となる)のクリニックに、地元のTen28というバンドの女性ボーカルのジョアンナ・バックが訪ねてきた時でした。彼女はバンドを辞めようかというほど深刻な難聴の問題を抱えていたのです。
マイケルはこの時〝演奏の現場〟が危険な音量にある現実に初めて気がつきました。市販の耳栓を使用しての演奏を勧めましたが「どれも音質に問題があって使い物にならない」とジョアンナは言いました。
そこでユニバーサルスタジオとパラゴンスタジオであらゆる市販耳栓の周波数の計測実験を行いますが、その結果、どの耳栓も高周波数音域帯が大きく遮音され、低音域帯が遮音されないことが解りました。これらの耳栓による〝歪んだ音〟こそが、音楽の演奏に全く向いていない原因でした。
そこで最初に取り組んだのが、補聴器の技術を応用してイヤプラグの本体を柔軟性の高いシリコンで、その人の耳の形状で作製するというオーダーメイドのイヤプラグでした。イヤモールドの遮音能力を確保する為に、〝カスタム〟と命名されるようになる技術を確立しました。
これは利用者の耳型を採取して、メディカル・グレード・シリコンで、その形を的確に外耳道など耳の形状に再現してフットさせ、今までにない遮音量を作り出す成形技術です。現在は、カスタムIEMとして一般的に知られるようになっています。そしてそのイヤプラグに音響フィルターを付けて音を濾過し、コントロールする実験を始めたのです。
このカスタム成形によるシリコンイヤプラグの遮音能力は、実効遮音性能で世界最高水準になっており、同成形によるIEMでは音楽演奏者だけでなく、NASAの宇宙パイロットやインディ・カーレーサーなどが利用しています。
☆ ☆ ☆
一方、それまでは聴覚保護に関して「(遮音が)多ければ多いほど良い」という思い込みがあり、それに対して適度に減衰して音の忠実度の高く、規定の音量を低減する耳栓用音響フィルターが開発されました。
この耳栓は、正常な耳においての‘音の再現性の理論,に基づいています。外耳道を遮蔽すると自然な外耳道共鳴が除去され、その結果こもった音質となってしまい、自然な音には聴こえません。また、耳の構造によって特性を持たせていた音質バランスも失われてしまいます。
それを人間が聴いた時に自然に聴こえるように、音響フィルターの仕組みを構成して、音の再現を実現し、またフィルター内で平均的な耳管共鳴を置き換えることで、周波数全体で均等に音を低減する耳栓を生み出したのです。
この音を歪ませない音響フィルターと、世界最高の遮音能力を有するシリコン製のイヤモールドとを組み合わせた〝ミュージシャンイヤプラグ〟が完成したのです。
☆ ☆ ☆
このカスタム成形法による Musicians Earplugs™ は、1988 年に米国で発表され利用者への提供が始まります。日本では2004年に販売が、2005年には国内製造がスタートします。それ以来、数万人にものぼるミュージシャンの聴覚を保護するだけでなく、演奏家が必要としている〝正確な音〟を聴こえるようにして、練習や演奏での耳栓の利用を可能にしたのです。
今では音楽ジャンルにかかわらず、あらゆる音楽シーンで利用されていますが、多くのクラッシックのオーケストラで団員に利用を勧めるほど安定した〝音の濾過〟を実現しているのです。そして、そのイヤプラグは、フィルターに替り音響再生用のスピーカー機器を搭載させることで、カスタム・イヤモニターへと発展していきます。
≪おわりに≫
WHOからのメッセージ
過大な音量が難聴を誘発することは医学的に検証がなされた現代でも、騒音性難聴で一旦失われた聴覚は、回復する治療法が見つかっていません。予防することが唯一の対処法と言えます。
WHOでも、難聴の予防に関しては様々なメッセージを発信し続けています。3月3日に設定されたWorld Hearing Day(ワールド・ヒアリング・デー)もその一環です。
日本では3月3日は桃の節句、ひな祭りの日ですが、実は耳の日でもあります。ワールド・ヒアリング・デーに先立つこと、日本では1956年に語呂合わせで耳(みみ)の日として設定されました。そしてWHO(世界保健機関)が2007年にEar Care Dayとして、2015年にWorld Hearing Day(ワールド・ヒアリング・デー)として設定されました。
そして、この2015年のテーマは「聞くことを安全にする」で音楽由来の騒音性難聴がテーマとなりました。
スマートフォンを含むオーディオ機器や騒々しいいエンターテイメント会場での有害なレベルの音楽の音量に関して警告を発しました。Sensaphonics社の創業者のマイケル・サントゥッチ博士もこの関連でWHOのジェノバ会合に出席し、また基調講演も行いました。
ちなみに世界的にも3月3日が〝耳の日〟になったのは3の形が耳に似ているからだそうです。日本の耳の日は 3 3 (ミミ)の語呂だけでなく、電話機の発明者でろう教育者であったグラハム・ベルの誕生日だったからという理由もあったようです。
更なる進歩が求められるイヤプラグ
騒音から耳を守る耳栓は、蜜蝋から始まり今日まで多様な改良が加えられて綿、ゴム、ビニール、ウレタンと進化していき、科学の進歩とともに今は温度や湿度などの外的要件に左右されにくく、素材として安定し、耐久性が高く、柔軟性のあるシリコン製へと進化していきました。
そして遮断だけを目的としていた耳栓は、音の選択と遮音量の調整までをも機能するようになっています。しかし産業革命によって大きな問題となった過大な騒音は、現代社会においても、深刻な健康被害をもたらす素因であることに変わりはありません。
デジタル音響技術の発展に伴って生み出されたノイズキャンセリング技術などに見られるように、増々必要性が高まっている騒音問題に対処するため、社会のいろいろな場面にあわせた、より利用価値が高く、機能的なイヤプラグを、今後も開発され続けていくことが必要とされています。
(ジェイフォニック/Sensaphonics Japan 大八木哲夫)
☆ ☆ ☆