スムーズジャズ/フュージョン界の大御所スーパーグループ、フォープレイ。そのメンバーの1人としても有名な、ギタリストのチャック・ローブが2017年7月31日、がんのためニューヨークで逝去しました。享年61歳。この数年は闘病しながら活動を続け、2016年にはニュー・アルバムもリリース。闘病中とは思えぬ、軽快で広がりのある極上サウンドを届けてくれていました。
本サイト内のインタビュー記事からもわかるように、j-phonicとフォープレイの繋がりは深く、その出逢いは2010年までさかのぼります。彼らが同年の7月に来日公演を行った際、Sensaphonicsの「2XS」ユーザーだったハーヴィー・メイソン(Drs.)からリクエストを受け、新しいカスタム・イヤモニをつくったのがきっかけでした。
そして運命の2010年12月。フォープレイは新ギタリストにチャック・ローブを迎えて初となる日本公演を6~8日、ブルーノート東京で敢行。この初日に招待されたSensaphonics Japanのメンバー(現j-phonicの大八木哲夫代表ら)は、演奏中にボブ・ジェームス(Key.)の付けていた他社製のイヤモニが何度も外れるのを目撃します。
大八木氏は、「ボブは外れたイヤモニを装着し直すたびに片手弾きになっていたから、耳に合わないイヤモ二が、どれだけ気持ちよくプレイしたいミュージシャンの障害になるか、気持ちよく演奏を聴きたいオーディエンスの気がかりになるかを再認識する出来事だったよ」と振り返ります。
するとステージ後の歓談の際、このことに気づいていたハーヴィーが冗談交じりに「メンバーみんな日本製のイヤモニにしたらどうだ?」と提案。日本でつくり直したカスタム・イヤモニを非常に気に入ったという彼の太鼓判もあってか、そのままメンバー全員が日本でカスタム・イヤモニをつくることを即決します。
さっそく翌7日、当時のSensaphonics Japanの東京オフィスに耳型採取にやって来たハーヴィー、ボブ、チャックと、サウンドエンジニアのケニー(ネイサンは雑誌の取材のため欠席)。イヤモニを常用していなかったチャックを含め、まず日本製イヤモニの音質確認のため、メンバーはj-phonicの「k2」を試聴してみることになりました(当時、j-phonicはSensaphonics Japan開発のシリーズ名で、のちに社名となります)。
ところがその音を聴いた途端、彼らの表情が一変します。それは予想をはるかに超える音質で、「俺の知らないイヤモ二なんて世の中にはないはずだ」と豪語していたケニーまで、「こんなすごい製品があったとは!」と慌てるほど。なんと、すでにカスタム・イヤモニを持っていたハーヴィーも一緒になって「こっちのイヤモニで充分じゃないか!?」と盛り上がり、彼らは急遽「k2」を持ち帰ることになったのです。
さらに、あとでみんなの「k2」を見て自分もほしくなったというネイサンにも製品を届け、結局、当日夜のステージではメンバー全員が手にしたばかりの「k2」を装着し、演奏に臨んだのです。
「この製品に文句を言うやつがいたら、俺のところに連れてこい!!」
実は、その時点ではまだ公式発売前だった「k2」。この日を迎えるまで、アーティストに試聴してもらう機会がなかったのはもちろん、プレリリース時の意見や要望から、開発サイドは機種としての性能の良さにまだ確信が持てずにいたといいます。しかし、そんな不安を真っ先に払拭してくれたのが、チャックのこの言葉でした。そして、フォープレイの面々も「こんないい製品はもっと多くの人たちに広めなきゃいけない!」と、率先して取材・宣伝などを行い、製品プロモーションに協力してくれることになったのです。
j-phonicの大八木代表はこの一連の出来事を思い出し、「あの時のチャックのひと言は本当に大きかった。製品に対するアーティストの後押しが、いかにつくり手の自信につながり、モチベーションを上げてくれるかを痛感するエピソードであり、彼らの大きな力に感謝したい」と語ります。
大八木氏はその後も、2011年6月にチャックと妻のカルメン・クエスタ名義による丸の内コットンクラブ公演に招待されたり、2012年9月のフォープレイ来日時には、彼らのステージを楽しみつつ「k2」開発完成記念の打ち上げを兼ねたり、チャックと親交を重ねていきました。
j-phonicスタッフ一同、友人のチャック・ローブに深い感謝の意を表するとともに、心よりご冥福をお祈りたします。